電車でどれだけ寝こけても一駅毎に目が覚めます。おかげで電車に乗り始めて4年近く、乗り過ごした事は一度もありません。

今日は端っこの座席に座ることができ、それはもう良い気分で寝ていました。手持ちの本は読後感最高で読み終わり、昨晩寝付くのが遅かったせいもあってか、泥のような眠気が襲ってきます。意識が途切れる瞬間に気付かないほどの、深い深い眠り。睡魔は私を心地よく包みながら、それでもいつもと変わらず、一駅毎に眠りは解かれるのでした。

とまあ、こんなに気持ちよく寝るのはいつぶりだろなぁと降車駅であるA駅の一駅前、B駅で、バッグに突っ伏しながらよく回らない頭で惰眠に浸ってたわけなんですが、誰かが私の膝をとんとんと小突くんですね。ええ?誰?って顔上げたら、小中学校の同級生でした。因みに学部は違えど大学は一緒で、顔を合わせれば挨拶する程度の仲です。あれ何で彼女が私の目の前にと疑問を呈するより早く、彼女は困ったような笑みを浮かべて私に声をかけてきます。
「降りなくて大丈夫?」
…大丈夫、と寝惚け眼ながらとりあえず反射的に応えると、彼女はやっぱり困ったような笑みのまま、電車を降りていきました。車内には、寝起きの情けない顔をして状況の飲み込めない自分が取り残されています。暫く霞みがかった頭で考えてみると、私がB駅を利用していると思った彼女はこのままでは乗り過ごしてしまう!と、親切にも声をかけてくれたのではないかという結論が導かれました。天候が良い日はA駅、雨が降ればB駅を利用しているという事情を知らない彼女にとっては、ある意味冷や冷やものだったことでしょう。寝ている人を起すのって、どんな場合であれ気が引けるものでしょうし。私だったら横目で気にしつつ絶対に声などかけられません。
偶然同じ車両に乗っただけで寝過ごしを心配して声をかけてくれる友人がいてくれたことに感謝すると同じに、無性に空しくなる自分はきっとどうかしているのだと思います。個人的に電車はスタンドアローンな空間で、一人で鬱々と太宰について考えを巡らせたり佐藤友哉読んでげんなりしたり、とにかく人と関わることを前提に動いてないので、そういう場所で誰かと会うと心の準備ができてないわけでわけもなく死にたくなります。人格改造セミナーとか自己啓発本とか読んだ方がいいんでしょうか。